うさぎロケット(兎)

Twitterじゃ文字数少なすぎるんじゃい!

鬱病は心の癌。

私は10代で鬱病を患って寛解→再発→悪化→小康→再発を繰り返しています。
鬱病歴20年以上。
鬱病になって、寛解してずっと元気のままでいられる人は1割位だそうで。
殆どが長期化したり再発したりするそうです。
私も一時期は、パニック発作の頓服薬だけでやっていけてたんですけどね~。
再発してしまいました。
そして、元々のうつに産後うつが重なって、もはや不治の病のようになってしまっているのが現状です。

前置きはさておき。

雨の日は希死念慮が酷くて、ほんと、嫌になります。
希死念慮ってのは「死にたい」と思うことをマイルドにした言い方。
人に説明するときとか「死にたい」だと言葉が強すぎるので(また構ってちゃんだと思われたくないので)、希死念慮って言うようにしています。

鬱病は、簡単に言うと希死念慮に囚われてしまう病気です。
理由なんてありません。病気なので。
兎に角、ずっと頭の隅…というかむしろ中央にですね、「死にたい」が、でーんと鎮座ましましておりまして、それを退かすか迂回するかどうにかしないと、他の思考が出来ないのです
家の真ん中に邪魔な鉄柱が生えてるような…。

自殺が良くないことだとかいうのは、百も承知で、今更何を言われても「あ、その理由、もう脳内ライブラリにあります」って感じです。
こっちは、20年、自殺してはいけない百の理由、いや、千の理由を考えて理論武装して己と闘っておるのでね。
自殺の成功率が意外と低いこと、マンション7階から飛び降りても助かった俳優さんのこと、私が死んだら悲しむ人達のこと、今は何も分からない息子が将来どう思うか、そもそも夫に家事育児は無理だろうということ、自分の趣味(←割と早めにどうでもよくなりますけども)のこと、好きなアニメの続編、家が事故物件になる、エトセトラエトセトラ。考えます。
自殺は良くないんですよ。

でも、死にたいって思っちゃうんです。
自動的に。強制的に。
死ぬのは滅茶苦茶怖くて、何なら永遠に生きてたいぐらいなんですけど、そのときは兎に角「死んだら全部終わる」「永眠したい」と思わされちゃうんですね。
無論「終わるとは限らないよ?今より苦しい地獄行きかもよ?」「永眠する前に、普通に寝よう。眠たいだけなんだよ」と即反論が出てきます。

疲れます。
このやり取りが一日中続きます。
何かを考えるときに、もれなくこの余計な思考が付属します。
脳内がしんどい。
で、疲れて、よりいっそ「全部終わらせたいよね?」って悪魔の囁きが魅力を増す訳です。悪循環!

雨がやんで、お日様に照らされると、少しマシになります。
暑いと「死にた…あつい!暑い!あっつい!」と脳が暑いと感じていることを優先してくれるので、希死念慮も薄れます。

有名人が自殺してニュースになると、「嗚呼、誘惑に負けてしまったんだな…」と悲しく(時には羨ましく)なります。
それから、周囲の人に「あなた達は何も悪くない。どうか自分を責めないで」と伝えたくなります。
どんなに近くに居ても、人の思考を読み取ることは出来ないので、気付けなくて当たり前なのです。
そして、希死念慮を隠すことはとても簡単です。私も、「死にたい」と思っていることを気付かれたことはありません。口にしなければ、精神科医にだって気付かれないでしょう。
「死にたい」と思いながら、笑って世間話をしているなんてことはしょっちゅうあります。

希死念慮を素直に打ち明けられて、クソバイス(あえて言います全ての「死なないで」はクソだと)されることなく、只の構ってちゃんだと思われることもなく、気兼ねなく「そうだね、死にたいね~しんどいね。辛いね」と言い合える見知らぬ人がいたらいいのに…と思わずにはいられません。
生きていく為に「死にたい」と言える場所が必要なのです。
構ってちゃんと揶揄するのは、やめて下さいね。本当に毎回ギリギリのところで闘って、生き抜いているので。
誰にも構われずに、生き延びているので!
連勝記録更新中ですので!